エルンスト・フックス (Ernst Fuchs)

930年 ウィーン(墺)生 ― 

『一角獣の婚姻』

  1930年2月13日、ウィーンで裕福な古物商の家に生まれる。父はユダヤ教徒で母はキリスト教徒だった。3歳頃から夢想的な絵を好んで描き、メダルや紋章、古い貨幣、タロットカードなどに興味を覚えた。13歳の頃からエミー・スタインボックのもとで彫刻を学ぶ。
 ナチス政権時代、親類縁者のほとんどがユダヤ人強制収容所に送られ命を落としている。
 1944年、聖アンナ美術学校に入学。
 1945年、 ウィーン美術学校に入学し、翌年よりギュータースロー教授に師事。
      ブラウアーハウズナーフッターレームデンらと知り合う。
 1948年、ウィーン・アートクラブに加入。当時はクリムトやエゴン・シーレ、ムンク、ピカソ等に影響された絵を描いていた。
 1949年〜61年、ほとんどパリに滞在。マイスター・エックハルトの教説を好むほか、錬金術の象徴やユング思想に深く共感する。
 1951年、フンデルトワッサーアルヌルフ・ライナーと共にウィーンでフンズグルッペ(Hundsgruppe)を組織。
 パリに長く滞在する間に作風としてはジャック・カロ等のマニエリスムやファン・エイク、ヤン・フーケ等に影響を受ける。



フックス

 1955年〜57年、イスラエル及びアメリカに旅行。
 1956年、カトリックに改宗し、翌年シオン山の大修道院に入る。
 1958年、ウィーン派のために個人のギャラリー「フックス」設立。
 1959年、フンデルトワッサーアルヌルフ・ライナーと共に「ピントラリウム宣言」(Pintorarium-Manifestesを刊行。ピントラリウム(Pintorarium)とは芸術創造アカデミーを意味する
 1962年、イスラエルに滞在。
 1966年、アメリカに滞在。
 1969年、サンパウロ・ビエンナーレの7大賞の一つを受賞。
 1969年〜71年、代表作『スフィンクス連作』制作。

 美術評論家のヴィーラント・シュミートは、フックスの作品をハウズナーのそれと比較し、ハウズナーが苦渋に満ちた主観的象徴体系を展開するのに対し、フックスの作品はおおむね新旧聖書や黙示録の象徴体系を借用しているので馴染みやすい、と述べている。
  フックスは自分が描く怪物や天使について、ユングの用語を借りて集合無意識のなかに蓄積された「元型」だと説明する。当時はアブストラクトやアンフォルメルといった「純粋絵画」を重んじる風潮があったため、そうした信条を非絵画的で文学的だと批評する向きもあった。これに対しフックスは、「芸術は最高度に文学であり、文字記号である」と答えている。
 なお、ギュータースロー教授は、フックスの思想的背景をグノーシス主義やマニエリスムに求め、「初期グノーシス派のマルキオンやバジリデス、カルポクラテスは2000年前に現在のシュルレアリスムに似た画法を発見していたに違いない。初期のフックスには彼らの思想の痕跡が見られる」という。

【参考文献】

 『ウィーン幻想絵画展図録』 朝日新聞社

 『迷宮の魔術師たち―幻想画人伝』 種村李弘(著) 求竜堂 (1985/02)

 フックスについてもっと詳しく知りたい方は上記の本をお読みください。



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