|
『夜の庭園』
|
【略歴】
1897年9月23日、ベルギーのリエージュ州アンテイトで生まれる。父親は弁護士。1910年〜16年にサン・ジル学校でギリシア・ローマの古典を学ぶ。特にホメロスの『オデッセイ』を好み、神話を主題としたデッサンを始める。
1920年にブリュッセルの美術アカデミーに入学し、コンスタン・モンタルドに師事。
1929年、ブリュッセルで開かれたジェームズ・アンソールの回顧展を観て感銘を受ける。ほかにもコンスタン・ペルメークやギュスターヴ・ド・スメに影響される。
1932年、デルヴォーを溺愛していた母親が他界。ブリュッセルの見本市で「スピッツナー博物館」(衛生博物館)の展示があり、人体模型や骸骨を見て衝撃を受ける。さらに34年に、シュルレアリスムの《ミノトール》展を観て、マグリットやキリコ、ダリの作品に魅了され、自分の画風を定める。
1938年、パリで開かれた《国際シュルレアリスム展》に出品。
1940年、メキシコで開催された《国際シュルレアリスム展》に参加。
1950年、ブリュッセルのエコール・ナシオナル・シュペリウールの教授に就任。62年まで勤める。
1954年、第27回ヴェネツィア・ビエンナーレに出品。同年、サベナベルギー航空社長ジルベール・ペリエの邸宅における壁画制作を手がける。
1965年〜66年、ベルギー美術アカデミーの会長を務める。
1968年、 第34回ヴェネツィア・ビエンナーレに出品。
1972年、パリのグラン・パレで《幻視の画家――ベルギーのサンボリスムとシュルレアリスム展》が開かれる。
1975年、東京・京都で大規模な巡回展。
1982年、オステンド近郊に私立デルヴォー美術館が開館。
1994年7月20日、逝去。
「夢想家であるとしても、彼はロートレアモン伯の非論理や狂熱とは無縁な人間であり、むしろヴァレリーの方法意識に近いものをもった、冷めた夢想家である。エロティシズムの画家としても、彼はバルチュスの苛立たしい、熱っぽい、陰気な快楽を思わせる少女嗜好とは無縁な人間であり、むしろフランドルのきびしい写実の伝統に忠実な、凍結したエロティシズムの画家である」
〜 『幻想の彼方へ』
澁澤龍彦(著)より 〜
【参考文献】
『ポール・デルヴォー
〔骰子の7の目 シュルレアリスムと画家叢書〕』
アントワーヌ・テラス(著) 與謝野文子(訳) 河出書房新社; 増補新版版 (2006/7/12)
『ポール・デルヴォー』 マルク
ロンボー (著), 高橋 啓 (翻訳) 美術出版社 (1991/01)
|