ポール・デルヴォー (Paul Delvaux)

1897年アンテイト(ベルギー) ― 1994年

『夜の庭園』

 【略歴】
 1897年9月23日、ベルギーのリエージュ州アンテイトで生まれる。父親は弁護士。1910年〜16年にサン・ジル学校でギリシア・ローマの古典を学ぶ。特にホメロスの『オデッセイ』を好み、神話を主題としたデッサンを始める。
 1920年にブリュッセルの美術アカデミーに入学し、コンスタン・モンタルドに師事。
 1929年、ブリュッセルで開かれたジェームズ・アンソールの回顧展を観て感銘を受ける。ほかにもコンスタン・ペルメークやギュスターヴ・ド・スメに影響される。
 1932年、デルヴォーを溺愛していた母親が他界。ブリュッセルの見本市で「スピッツナー博物館」(衛生博物館)の展示があり、人体模型や骸骨を見て衝撃を受ける。さらに34年に、シュルレアリスムの《ミノトール》展を観て、マグリットキリコ、ダリの作品に魅了され、自分の画風を定める。
 1938年、パリで開かれた《国際シュルレアリスム展》に出品。
 1940年、メキシコで開催された《国際シュルレアリスム展》に参加。
 1950年、ブリュッセルのエコール・ナシオナル・シュペリウールの教授に就任。62年まで勤める。
 1954年、第27回ヴェネツィア・ビエンナーレに出品。同年、サベナベルギー航空社長ジルベール・ペリエの邸宅における壁画制作を手がける。
 1965年〜66年、ベルギー美術アカデミーの会長を務める。
 1968年、 第34回ヴェネツィア・ビエンナーレに出品。
 1972年、パリのグラン・パレで《幻視の画家――ベルギーのサンボリスムとシュルレアリスム展》が開かれる。
 1975年、東京・京都で大規模な巡回展。
 1982年、オステンド近郊に私立デルヴォー美術館が開館。
 1994年7月20日、逝去。

 「夢想家であるとしても、彼はロートレアモン伯の非論理や狂熱とは無縁な人間であり、むしろヴァレリーの方法意識に近いものをもった、冷めた夢想家である。エロティシズムの画家としても、彼はバルチュスの苛立たしい、熱っぽい、陰気な快楽を思わせる少女嗜好とは無縁な人間であり、むしろフランドルのきびしい写実の伝統に忠実な、凍結したエロティシズムの画家である」
                              〜 『幻想の彼方へ』 澁澤龍彦(著)より 〜

【参考文献】

 『ポール・デルヴォー 〔骰子の7の目 シュルレアリスムと画家叢書〕
            アントワーヌ・テラス(著) 與謝野文子(訳)  河出書房新社; 増補新版版 (2006/7/12)

 『ポール・デルヴォー』 マルク ロンボー (著), 高橋 啓 (翻訳)  美術出版社 (1991/01)


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