ルネ・マグリット (Rene Magritte)

1898年 レシーヌ(ベルギー)生 ―1967年 ブリュッセル(ベルギー)没 

『恋人たち』 (1928年)

 【略歴】
 1898年11月21日、ベルギー・エイノー県レシーヌにて仕立て屋の長男として生まれる。1910年頃より油彩とデッサンを始める。
 1912年、母親が原因不明の自殺を遂げる。
 1913年、家族でシュルルロワに引っ越す。高校生のとき、定期市の回転木馬で2歳年下の少女、ジョルジェット・ベルジェと出会う。
 1916年、ブリュッセルのアカデミー・ド・ボザールに入学し、ヴァン・ダムのデッサン教室で学ぶ。
 1919年、詩人のピエール・ブルジョワと知り合う。ピカソのキュビズムに影響された作品『3人の女』を発表。
 1920年、画材店で働いていたジョルジェット・ベルジェと再会し、交際を深める。
 1922年、壁紙工場で図案工として働く。ピュリスムに傾倒するヴィクトル・セルヴランクスに指導を受け、彼と共著で『純粋芸術、美学の擁護』を書く。6月にジョルジェットと結婚。
 1923年、工場を辞めて広告デザインを手がける。
 1925年、ポール・ヌジェやアンドレ・スリと知り合う。ダダイズム雑誌『食道』に投稿。マルセル・ルコントを通じて知ったジョルジョ・デ・キリコの作品『愛の歌』に強く魅了される。
 1926年、『迷える騎手』を描く。ル・サントール画廊と契約し、制作に専念できる環境が整う。ELT・メザンスやポール・ヌジェ、マルセル・ルコントらとベルギー・シュルレアリストグループを形成。
 1927年、パリに移り住み、アンドレ・ブルトンらパリのシュールレアリストたちと交流を始める。
 1928年、『恋人たち』を描く。パリのゲーマンス画廊「シュールレアリスム展」に出品。8月に父親が他界。
 1930年、ブルトンと仲たがいし、パリを離れてブリュッセルのエッセゲン街135番(マグリット美術館として公開されている)に住居を構える。

『証人』 (1939年)

 1934年、ブルトンの『シュルレアリスムとは何か』の表紙として『陵辱』を描く。
 1936年、ニューヨークのジュリアン・レヴィ画廊でアメリカ初の個展。
       同年、ロンドンで開催の『国際シュルレアリスト展』に出品。
 1938年、アントワープで「生命線」と題した講演をおこなう。
 1940年、ドイツ軍侵攻を避けてフランスのカルカソンヌに疎開し、肖像画を描いて生計を立てる。
 1943年、これまでとは画風を大きく変え、ルノワール風の印象主義的な色彩・技法を試みる(〜47年まで)。
  同年、マルセル・マリオン及びポール・ヌジェがマグリットに関する論文を発行。
 1946年、マルセル・マリオンとスカトロジーに関する小冊子を編集し、警察に発行停止を命じられる。
 1947年、1927年以来の友人であるルイ・スキュトゥネールが、マグリットについての初論文を発表。
 1948年、フォーヴィスムにならってヴァーシュ(牡牛)スタイルを試みるが、友人たちから酷評され取りやめる。
 1954年、代表作の一つ『光の帝国』を描く。
       ブリュッセルのパレ・デ・ボザールで初の回顧展。
 1965年、パトリック・ワルドベルクのマグリット論が出版される。
 1966年、代表作の一つ『白紙委任状』を描く。
 1967年8月15日、ブリュッセルの自宅で急死する。

 マグリット財団のホームページはこちら(→http://www.magritte.be/)

 参考文献:
 『ルネ・マグリット展』1988年 東京国立近代美術館展カタログ

 アンドレ・ブルトンは1961年にこう語っている。
「問題はたしかに、まずわれわれの日常世界を配分している事物、風景、存在から出発して、それらの外観をきわめて忠実にわれわれに復元することだが、しかし――そしてここにこそマグリットのまったく独創的で重要な介入が位置づけられるのだが――それらがおたがいのあいだで保つ諸関係の流動に訴えてわれわれをそれらの潜在的な生命にめざめさせるにはほど遠いのだ。大きさ、位置、光線の具合、入れかわり、実質、相互許容、生成といったこれらの関係を拡大し、必要とあらばそれらを侵害しさえすることは、われわれを第2の具象(フィギュラシオン)の核心にみちびきいれることであって、それは修辞学が「言葉のあや」(フィギュール)や「思考のあや」として列挙するあらゆる手段によって第一の具象を超越する。マグリットの主張する描写的な意味における具体的な具象がもしもこれほど細心でなかったなら、本来の意味から比喩的な意味へ写り、ひとつの「完璧な思考」、つまりその完全な解放にまで達した思考をめざしてこれらの二つの意味を同一の視線でむすびつけることを可能にする大きな意味の橋は、だめになっていたことだろう。(中略)シュルレアリスムはその最初――にして最後――の次元のひとつを彼に負っているのである」

 また、1964年には、哲学者コンスタンティン・ブルンナーが用いたアナロゴン(類同力)、虚構思考という用語を使ってマグリットを読み解いている。

シュルレアリスムと絵画』 アンドレ・ブルトン(著) 瀧口修造・巌谷国士監修 人文書院 より 


マグリット美術館(Musee Rene Magritte, rue Esseghem,135,  1090 Bruxelles-Jette)
 マグリット財団のHPによると、新たなマグリット美術館が2007年、ブリュッセルの王立美術館内にできる予定だそうだ。以下はジェット地区にある現在のマグリット美術館の画像(2001)。


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