ジャン・デルヴィル (Jean Delville)

1867年 ルーヴァン(ベルギー) ― 1953年 ブリュッセル

『ミステリオーザ』
(チョーク・紙 38.1 x 27.9)

 ジャン・デルヴィルは、クノップフとともにベルギー象徴主義を代表する画家の一人である。

【略歴】
 1867年、ルーヴァンに生まれる。12歳のときにブリュッセルの美術アカデミーに入学し、ポルテルスらのもとで訓練を受ける。
 1885年、 ブリュッセルの《レソール展》に肖像画を出品してデビュー。
 世紀末的な作家・詩人が集った《若きベルギー》誌に出入りし、エミール・ヴェラーレンやカミーユ・ルモニエ、ヴィリエ・ド・リラダンらと交流し、自由詩などを書く。
 1888年頃、パリに滞在してジョゼファン・ペラダンと知り合い、彼の教説に共感をおぼえ、象徴主義芸術に傾倒していく。自伝によると「この頃突然に、より理想的で、より象徴的な芸術の構想が浮かんだ。文学においてすでに自然主義の埋葬に立ち会っていたのと同じように、私は絵画におけるレアリスムに見切りをつけたのだ」(*)。

『プラトン学園』(左半分)
油彩 260 x 605cm

 1892年、ペラダンに招待され、第1回《薔薇十字》展に出品(〜95年)。   翌93年の同展で代表作の一つ『ミステリオーザ』(Mysteriosa――不可思議な女)を出品。後にモデルはスチュアート・メリル夫人と判明。
 1892年、《20人会》は印象主義的自然主義の色合いが濃いと感じ、メルリらと共に《芸術のために》グループを形成し、独自の展覧会を開く(〜95年)。
 1894年、『子どもたちに至福を授けるキリスト』でローマ賞を受賞、イタリアに遊学。 そこで『プラトン学校』など数多くの絵画を制作。

『ドドナの神託』
油彩・麻布 118 x 170

 1895年、 著書『われわれだけの対話――ヘブライ神秘哲学的、神秘学的、理想主義的議論』をブルージュで刊行。この頃より神智学に共鳴していく。
 1896年、代表作の一つ『ドドナの神託』(油彩・麻布 118 x 170)を描く。
 同年、イギリスの《ラファエル前派》運動にヒントを得てベルギーの美学的ルネサンスを目指し、《理想主義芸術展》を開く(〜98年)。レオン・フレデリックコンスタン・モンタルドらがこれに参加。
 1897年、著書『スフィンクスの戦慄』をブリュッセルで刊行。
 1898年、 『プラトン学校』をブリュッセルで公開して絶賛される(現在パリのオルセー美術館にあり)。
 1900年、著書『芸術の使命――理想主義的美学の研究』をブリュッセルで刊行。同年、ヴァン・デル・スタッペンの仲介により、イギリスのグラスゴー美術学校の教授に任命される。
 1907年、ブリュッセルに戻り、美術アカデミーで教鞭をとる(〜37年)。
 1911年〜14年、最高裁の壁画を手がける。
 1920年、モンタルドと共に《モニュメンタルな芸術》グループを結成し、サンカントネール公園の凱旋門アーケードをモザイク画で飾るなど、壁画復興運動に尽力する。
 1925年、著書『絵画におけるモダニズム』 をブリュッセルで刊行。1953年、ブリュセッルにて逝去。

 【参考文献】

   『ベルギー象徴派展 (1982年)』図録 東京国立近代美術館 (*)本カタログより引用。

   『ジャン・デルヴィル』 小柳玲子(著) 岩崎美術社 (1995/07)




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