トワイヤン (Toyen)

1902年 プラハ(チェコ) ― 1980年 パリ(仏)没

『休息』 (1943)

 【略歴】
 1902年、チェコのプラハで生まれる。本名マリィエ・チェルミーノヴァ(Marie Cerminova)。プラハのエコール・デ・ボザールで短期間学んだ後、1922年にユーゴスラビアでインドリッヒ・シュティルスキーと知り合う。
 1923年、 恋人シュティルスキーと共にカフカらが属していたチェコの前衛グループ『デヴェトシル』に加わる。この頃からトワイヤンと名乗り始める。名前の由来はフランス語のcitoyenからciを取ったものと推測される。
 1925年、 シュティルスキーと一緒にパリに滞在し、それまでキュビズム的だった画風から半抽象画的な画風に変化、「詩的人工主義―ポエティック・アーティフィシャリズム」を指向する。
 1926年、人工主義を標榜したコンポジションを展示。27年のヴァヴァン画廊での展示会ではフィリップ・スーポーが序文を書く。1928年、色彩主義、詩的人工主義による『フィヨルド』。
 1928年、パリを去り、プラハに戻る。シュルレアリスムの影響から、30年代初頭より夢や無意識に由来した混沌としたヴィジョンを描くほか、精神の現実を自然の形態に即して表現するようになる。
 一方、デヴェトシルの政治化により「赤色戦線」グループを結成。
 1930年代初頭、シュティルスキーがロートレアモンとマルキ・ド・サドに傾倒。
 1932年、シュティルスキーの出版社「エディション66」が、トワイヤンの挿画付で『ジュスティーヌ』のチェコ語版を出版。その後、サドを意識したエロティックでサディスティックなイメージを含む作品を描くようになる。
 1934年、プラハのシュルレアリスト・グループを創設。
 1935年、第1回『チェコスロバキア・シュルレアリスム展』を開催。アンドレ・ブルトン及びポール・エリュアールがプラハを訪れ、親交を結ぶ。
 1934年、『プロメテウス』 『磁力を持つ女』などを描く。
 1937年、『置き去りにされたコルセット』『砂漠の幻影』『黄色い幽霊』などを描く。

『蜃気楼』(1967)

 1939年、プラハがナチに占領される。
 1940年、『標的』などを描く。
 1942年、シュティルスキーが他界する。1944年、『身を隠せ、戦争!』
 1947年、パリに移り住み、以降、亡くなるまで当地で暮らす。
 1980年、パリにて逝去。
 1982年、ポンピドー・センターで回顧展が開かれる。

 【参考文献】
 『シュルセクシュアリティ―シュルレアリスムと女たち 1924~47
 ホイットニー・チャドウィック(著) 伊藤俊治+長谷川祐子 (訳)  PARCO出版局 (1989/03)


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