イヴ・タンギー (Yves Tanguy)

1900年 パリ(仏) ― 1955 ウッドベリー(米)

『無限分割可能性』
(1942)

 【略歴】
 1900年1月5日、海軍省職員を父としてパリのコンコルド広場に面する海軍省の建物内で生まれる。幼少時代はしばしば両親の故郷であるブルターニュ地方、フィニステールのロクロナンで過ごす。7歳のとき父親が他界。
 1918年〜19年、水夫の見習いとして貨物船に乗り組み、アフリカや中年米、イギリス、ポルトガル、スペインを航海する。
 1920年、リュネヴィル第37歩兵連隊に入隊し、詩人のジャック・プレヴェールと知り合う。
 1922年、除隊後、パリでプレヴェールと再会し、親交を深める。職を転々としながらあてどない生活を送るなか、ロートレアモンの『マルドロールの歌』を読んで衝撃を受ける。
 1923年、プレヴェールを通じて詩人マルセル・デュアメルと親交を結ぶ。同年末にポール・ギョーム画廊のウィンドウに展示されていたデ・キリコの『子どもの脳髄』(1914)に刺激を受け、絵を描き始める。
 1926年、『眠る女』『雷雨』『発生』などの作品から海底めいた茫漠とした空間に無定形の浮遊体が漂うタンギーらしい画風が現れる。
 1927年、シュルレアリスト画廊で最初の個展。アンドレ・ブルトンがカタログに文を寄せる(→『シュルレアリスムと絵画』に所収)
 1930年、北アフリカに旅行。これをきっかけにそれまで柔らかく植物的だったイメージが鉱物的あるいは硬質的なものに変化し、色調が複雑になる。

『孤の増殖』(1954 (*1)

 1939年、アメリカ・ニューヨークに移り住む。
 1940年、ケイ・セージと結婚。
 1941年、アメリカの裕福な女性(ケイ・セージ)と結婚したことでブルトンと仲たがいし、コネティカット州ウッドベリーに住居を定める。渡米後はスケール感が大きくなり、色彩の対比が鮮烈になり、形態がより精巧になる。
 1955年1月15日、ウッドベリーの自宅で急死する。

 ニューヨークでシュルレアリスムの紹介活動に尽力したジュリアン・レヴィは1936年にタンギーについて「かれの低くはるかな地平線は、のちにダリが空間の謎を表現するモチーフの一つとして練り上げることになるが、ダリにとって空間が恐怖だったのに対し、タンギーにとって空間は、親しいものであるとともに永遠のものであり、慰めになると同時に不可避のものである」と語っている。(*)

 (*1) Multiplication des Arcs 1954 画布・油彩 102x153

 【参考文献】
 夜想13『特集 シュルレアリスム』所収の岡田隆彦「心霊的なものを精妙に視せる」 (*)は同文より引用。



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