1858年 アルコ(伊) ― 1899年 シャフベルク(スイス)
【略歴】 1858年、北部イタリア(当時はオーストリア領)のアルコに行商人の息子として生まれる。 7歳のとき母が他界し、父と共にミラノに移り住む。ところが翌年に父も亡くなり、施設に入る。 彼は実母のイメージについて後年こう語っている。 「 私は母を憶えている。心の眼を開けば母の面影が、けうとげにこちらにやって来る背の高い母の姿が見える。母は美しかった。それはたとえていえば朝焼けや白昼の美しさではなく、春の沈む夕日の美しさだった」 1875年にミラノのブレラ美術アカデミーに入学。 昼間働きながら夜学で絵を学ぶ苦学の毎日を続ける。外光派に影響され、後期印象画派の色彩分割技法に関心を抱いたが、調和の取れた色彩表現を志向するより「黄昏時にきざす甘美な憂いを写しとること」を模索する。ミレーの感傷的な自然解釈を研究。22歳で結婚。 1883年、『渡し舟でのアヴェ・マリアの祈り』がアムステルダムの万国博覧会で金賞を受賞。 1886年、グラウビュンデンに移り住む。 1895年、マロヤにアトリエを移す。 1896年より、連作『自然の三連歌』の制作を開始する。 1897年、『悪しき母』を描く。 1899年、シャフベルクで逝去。 参考文献: 『ユーゲントシュティール絵画史』 ハンス・H・ホーフシュテッター(著)
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