ケイ・セージ (Kay Sage)

1898年 NY州・アルバニー(米) ―1963年 ウッドベリー(米)  

『第3の眠りの中で』 (1944)

 【略歴】
 1898年6月25日、アメリカ・ニューヨーク州アルバニーの裕福な家庭に生まれる。本名はキャサリン・リン・セージ(Katherine Linn Sage)。1900年に両親が離婚し、母親とヨーロッパで暮らす。
 1920年代初頭、イタリアのラパロで生活し、ローマで絵の勉強をする。
 1925年、サン・ファウスティノのラニエリ王子と結婚。
 1936年、ミラノで最初の個展。ラニエリ王子と離婚しパリに移り住み、宝石を売って生活費に当てながら、建築的なモチーフをもとに抽象的または半抽象的な作品を描く。
 1938年、『シュルアンデパンダン展』に出品。ブルトンやイヴ・タンギーの目に留まる。
 1939年、フランスのスイス国境に近いブルドー城に住み、タンギーやマッタ夫妻、ブルトン夫妻などと交流。その後、第2次世界大戦が始まったことでアメリカに戻り、パリの芸術家を支援するため、ニューヨークで一連の個展を開くプロジェクトに乗り出す。
 1940年、プロジェクトにより渡米してきたタンギーと結婚。ピエール・マティス画廊で、渡米後初の個展を開く。
 1941年、二人で コネティカット州ウッドベリーに移り住む。
 1942年、ペギー・グゲンハイムのプロデュースによる『20世紀の31人の女性』展に出品。
 1954年、コネティカット州ハートフォードのワーズワース文庫画廊でタンギーと二人展。
 1955年、タンギーが他界。意気消沈し、作品点数が減る。
 1959年、自殺未遂をはかる。
 1960年、ニューヨークのキャサリン・ヴィヴィアーノ画廊で回顧展。
 1963年1月8日、心臓を射抜いて自殺。

 ※セージの作品には、デ・キリコタンギーの影響が認められる。タンギーとセージは共にイメージの背景として延々と広がる空疎な平野を設定するが、タンギーが有機体めいた柔らかい形態を描くのに対し、彼女は幾何学的なモチーフを重視し、対角線や直交線を多用した。また、彼女の作品のいくつかには、故意に狂った遠近法を使用して疎外的な壁や広場に夢の印象をもたらすデ・キリコの手法の影響が見られる。彼女は実際にデ・キリコの『詩人の苦悩』(1914年)を所有していた。

 【参考文献】
 『シュルセクシュアリティ―シュルレアリスムと女たち 1924~47
 ホイットニー・チャドウィック(著) 伊藤俊治+長谷川祐子 (訳)  PARCO出版局 (1989/03)


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