ジョルジュ・ローデンバック (Georges Rodenbach)

1855年 トゥルネ(ベルギー) ― 1898年

 【略歴】
 1855年、フランス国境に近いトゥルネに生まれる。誕生後すぐに家族に連れられゲントに移り住む。サント・バルブ校に通学した後、ゲント大学に入学して法律を学ぶ。
 1878年、 弁護士を目指してパリに1年間遊学。ボードレールの『悪の華』に衝撃を受け、デカダン派や象徴派の詩人たちと交遊するようになる。ヴェルレーヌやマラルメとも面識を得る。
 帰国後、ゲントで弁護士生活に入るが、1883年にブリュッセルに移り、文芸誌『若きベルギー』に集う若者たちのリーダーとなる。86年には弁護士を辞めて創作一筋の生活を始める。
 1886年、詩集『白い青春』を発表。
 1887年、パリに移住。
 1889年、最初の長編小説『配所の芸術』を発表。
 1892年、小説『死都ブリュージュ』を「フィガロ」に発表。
 1994年、1幕戯曲『ヴェール』がフランス座で上演され高い評価を受ける。
 1997年、長編小説『カリヨン奏者』を刊行。
 1898年、逝去。享年43歳。 ちなみに詩人マラルメや画家ギュスタヴ・モローピュヴィス・ド・シャヴァンヌも同じ年に他界している。

 参考文献: 『死都ブリュージュ』巻末の訳者・窪田般彌による解説

 ちなみに日本では永井荷風や北原白秋、西条八十らがローデンバックを愛読した。
 永井荷風は1911(明治44)年の長崎旅行記『海洋の旅』で、うらびれた島原の旅館に滞在して「そして悲しいロオダンバックのように唯だ余念もなく、書斎の家具と、寺院の鐘と、尼と水鳥と、廃市を流るる堀割の水とばかりを歌い得るようになりたい」と記している。
  ブリュージュに似て堀割の多い水都・柳川で育った北原白秋は「かはたれのロオデンバッハ芥子の花ほのかに過ぎし夏はなつかし」と詠んでいる。


<<現代のブリュージュ>>




ご意見・ご感想は travis7jp@yahoo.co.jp

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

inserted by FC2 system