オディロン・ルドン(Odilon Redon)

1840年 ボルドー(仏) ― 1916年 パリ(仏)没

『キュクロプス』

 【略歴】
 本名ベルトラン・ジャン・ルドンは、1840年4月22日にフランスのボルドーで生まれた。父親はアメリカのニューオ−リンズで森林開拓をして財をなし、現地生まれのフランス系女性と結婚した。ルドンが生まれたのは一家がフランスに帰国した直後のことだった。幼児期から虚弱体質で、厳格な父からメドック地方の叔父の家に里子に出された。母親は長兄のエルネストを偏愛したので、愛情に乏しい子供時代をすごした。
 病弱のため、11歳でボルドーの学校に入ったが、勉強についていけなかった。美術だけは得意で、15歳頃からゴバンという水彩画家のもとでデッサンを学んだ。当時よりボルドーの植物園に通い、園長の植物学者アルマン・クラヴォから顕微鏡で見られる世界や植物標本に魅せられ、クラヴォが備えていた幅広い教養の影響を受けた。
 1857年にパリの美術学校の入学試験を受けるが不合格。翌58年にパリに出てアトリエに通うが、熱心な生徒ではなく、美術館で巨匠の作品を模写することに徹した。
 1863年、ボルドーで貧しい生活を送っていた銅版画家のロドルフ・ブレダン(1822-1885)と知り合う。彼の精緻な自然描写と幻想的な動物や人を組み合わせる特異な作風に強い印象を受ける。
 1867年、銅版画「風景」をパリのサロンに出品、ボルドーの展覧会に「ロンスヴォのロラン」を出品して注目される。
 翌68年、「ラ・ジロンド」紙に古典芸術の模倣より「生き生きした」幻想こそ描く価値があると主張。 「いま我々は幻想に身を任せ、自由に創造すべきである」と語っている。
 1870年、普仏戦争に従軍。
 1872年、パリのモンパルナスに移り住み、ド・レイサック夫人のサロンに出入りしながら制作に専念する。しかし、木炭画や銅版画はサロンで落選し続ける。1887年頃、ファンタン・ラトゥールと知り合い、彼から石版画を勧められる。
 1880年、ド・レイサック夫人のサロンで知り合ったカミーユ・ファルトと結婚。 「夢の中で」(1879年)に引き続き、「エドガー・ポーに捧ぐ」(1882年)、「原初」(1883)、「ゴヤに捧ぐ」(1885)、「聖アントワーヌの誘惑」(1888〜89の3集)といった画集など優れた石版画を制作。ルドンいわく「黒は最も本質的な色彩なのである。それはいわば健康(サンテ)の深い泉から、その強度と生命とをひきだすのである」。フランスではJ・K・ユイスマンスらを除いてほとんど彼の「黒の美学」を理解しなかったが、ベルギーやオランダは彼を高く評価した。ルドン自身も「モノクロの石版画のような芸術は北方の風土にふさわしい」と語っている。
 1888年、ベルギーでフロベールの「聖アントワーヌの誘惑」がルドンの口絵つきで出版される。
 1894年、画商デュラン・リュエルの画廊で大きな個展。ルドンの真価が見直される。
 1890年代より「色彩の時代」へ。油彩、水彩を多く手がけるようになる。
 1909年、ビエーヴルに別荘を購入し隠棲。
 1910年、モンペリエ近郊のフォンフロアード修道院跡に壁画を描く。
 1913年、アメリカのアーモリー・ショーで1室に展示。
 1916年、第1次大戦のさなか、パリで永眠。

 参考文献:『幻想画家論 (1972年)』  瀧口修造(著)

  ※ルドンの言葉として紹介している文はすべて本書より引用。



 ルドンは一つ目巨人(キュクロプス)や気球に乗った巨大眼球など、眼球のイメージを数多く描いた。

 澁澤龍彦は『幻想の肖像』で、神経症の子供は幼児期に両親の性行為を目撃した記憶が原光景となり、禁じられた光景を見たという罪悪感から自分たちが逆に眼球から監視されているのではないかと不安を抱く、という精神分析学の言説を引き、「一つ眼巨人とは『原光景』の記憶に悩む者の恐怖と不安と、それに後悔の感情との象徴的なイメージではないか」と述べている。 
   → 『幻想の肖像』 

 また、『幻想の彼方へ』所収の「ルドンの黒」では、
 「ルドンの世界は、曖昧なものを剥ぎ取った、原型的な世界といってもよいほどで、顕微鏡で眺めた極微の世界のように、動物とも植物とも知れない、イメージの萌芽のようなものが無数に漂っている、原始の夜のような世界なのだ」と語っている。

 ルドンの作品は、日本でルドンの有数なコレクションをもつ岐阜県美術館で観ることができる。

【ルドンに関する図書】

 『オディロン・ルドン―光を孕む種子』 本江邦夫(著)  みすず書房 (2003/07)


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