アルマン・ラッサンフォッス (Armand Rassenfosse)

1862年 リエージュ(ベルギー) ― 1934年 リエージュ(ベルギー)

『死後の悔恨』(※)

 【略歴】
 1862年、リエージュの裕福な家庭に生まれる。幼少時からデッサンが好きで、古い版画論の本を手本にして簡単な印刷の実験をおこなうというませたところもあった。フェリシアン・ロップスの版画の熱烈なファンであったことから彼の家を訪ねる。
 その後、ロップスとは深い絆で結ばれ、ソフトグランド・エッチングやアクアチントなど、多くの複製技法を共同開発する。
 1890年頃、実業家のベナールとリエージュで知り合い、彼が経営を始めたばかりの印刷会社で美術担当者となる。ラッサンフォッスの高い技術力も手伝って、ベナールの会社はその後、挿絵とポスター部門で世界的にも有数の印刷会社となる。その後、フェリシアン・ロップスのつてでパリの芸術家や作家たちとも交流し、愛書家100人会からボードレールの『悪の華』の挿絵を依頼される。
 1899年、大型の口絵7点と色刷版画160点、写真製版のカット100点からなる『悪の華』が出版される。《自由美学》展に、『悪の華』の挿絵に使用したデッサンを展示。
 第1次世界大戦の最中、1916年に制作された版画『死は酔う』は、当時の社会状況や戦争の悲惨さを強く訴え、制作上のl大きな転機となる。
 1934年、リエージュにて逝去。

(※) ボードレール『悪の華』における≪憂鬱と理想≫(XXXIII)の挿絵。この詩の部分はボードレールがジャンヌ・デュヴァルと出会ったときに彼女の残酷なまでの冷淡さを呪った時期をしのばせる。最後の詩句は「――ただ蛆蟲は、後悔のやうにあなたの皮膚を齧るだろう」

 参考文献:東京国立近代美術館「ベルギー象徴派展」カタログ


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