1824年 リヨン(仏)生 ―1898年 パリ(仏)没
【略歴】 1824年12月14日、リヨンの裕福な織物業の家に生まれる。 1844年、パリに行き、ロマン派のドラクロワと古典派のトマ・クーチュールに師事。 その後、フランス政府が彼の作品を購入して名声を得る。 モデルのひとりであるシュザンヌ・ヴァラドン(1865〜1938)と恋愛関係を結ぶ。ちなみに彼女は18歳でモーリス・ユトリロを生み、エドガー・ドガやルノワールのモデルを務め、トゥールーズ・ロートレックやエリック・サティとも浮名を流した画家である。 ピュヴィスはイタリアに旅行してフレスコ画の魅力にとりつかれ、強い影響を受ける。 この時代はオスマン男爵がナポレオン3世の指示により、パリの大掛かりな都市改造を推進した時期であり、ピュヴィスは政府の依頼で新旧の建造物に数多くの壁画を描いた。 1874〜78年、聖ジュヌヴィエーヴの丘に建つパンテオンに壁画を描く。 1881年、 後に彼の代表作とされる『貧しき漁師』(油彩画)をサロンに出品。 1887年、ソルボンヌ大学の壁画を手がける。 1891年、 パリ市庁舎の壁画を手がける。 1898年10月24日、パリにて逝去。 (*1) 『砂漠のマグダラのマリア』 54x37cm (1869) クレラー・ミュラー美術館所蔵
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