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『オイディプスとスフィンクス』
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【略歴】
1826年4月6日、裕福な建築家を父としてパリで生まれる。
1846年、エコール・デ・ボザール(国立美術学校)に入学。フランソワ・ピコ(1786-1868)の教室で学ぶが、ピコの新古典主義には興味がなく、1848年よりロマン主義のテオドール・シャセリオに私的指導を受ける。
1857年より4年にわたってイタリアに滞在。マンテーニャやカルパッチョ、レオナルド、ミケランジェロ等を模写・研究する。
1864年、『オイディプスとスフィンクス』をサロンに出品し、絶賛を浴びる。
1876年、『サロメ』『出現』などを発表。これらはユイスマンスやオスカー・ワイルドらの文学者に大きなインスピレーションを与えた。
1891年よりエコール・デ・ボザールの教授となる。門下生にはルオーやマティスらがいる。
1898年4月18日に逝去。
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『サロメ』
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マリオ・プラーツは『肉体と死と悪魔』のなかでモローをドラクロワと比較し、こう語っている。
「一方は熱狂的な行動に逸る血気盛んなロマン主義を、そしてもう一方は不毛の観照に明け暮れるデカダンティズムを、実に見事に代表している。二人が扱う題材は、淫乱で血なまぐさいエグゾティスムという点で、ほとんど同じである。しかしドラクロアは、その主題の内深くに分け入って生きるのであるが、モローはその外観をただただ熱愛するばかりである。したがってドラクロアは画家であり、モローは装飾家なのである」
アンドレ・ブルトンは、モローを「儀式的表現」(イエラティスム)と「鉱物的な豪奢」の二つの表現であらわしている。
「強調されているのは鉱物的な豪奢、「サタンの連祷」のなかでこの詩人(ボードレール)が、「ねたみぶかい神」がそれをかくしたといって責めているあの貴金属の、肉体との不可能な合金なのである」。
『肉体と死と悪魔―ロマンティック・アゴニー』マリオ・プラーツ(著) 国書刊行会 新装版版
(2000/08)
『シュルレアリスムと絵画』 アンドレ・ブルトン(著)
瀧口修造・巌谷国士監修 人文書院 より
ギュスターヴ・モロー美術館はこちら(→http://www.musee-moreau.fr/index_u1l2.htm)
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