スタニスラス・ド・ガイタ (de Guaita, Stanislas)

1861年 ロレーヌ(仏)生 ― 1918年 没 

 【略歴】
 1861年4月6日、フランス・ロレーヌ州のアルトヴィル城で生まれる。ガイタ侯爵家はもとイタリア・ロンバルディア地方の名家だった。ナンシーの中学で知り合ったモーリス・バレスと文学を志向する。
 1881年 ボードレール風の高踏詩からなる詩集『渡り鳥』を処女出版。 この頃より悪魔崇拝の傾向が見られた。
 1882年、バレスと共にパリに出てマラルメやヴェルレーヌらと交流する。
 1883年、詩集『黒いミューズ』を刊行。友人から贈られたエリファス・レヴィの『高踏魔術の教理と儀式』に啓示を受ける。
 1884年、ペラダンの『至上の悪徳』を読んで感動し、11月、ペラダンに「あなたの本を読んで、カバラや高踏魔術がまやかしとは別ものだと教わりました」と手紙を書く。
 1885年、詩集『神秘の薔薇』を刊行。ペラダンと共にアグリッパやアンリ・ボゲ、パラケルスス、トリテミウス、ファーブル・ドリヴェなど古今のオカルト関連書を収集。
 1886年、『呪われた学問についての試論』全4巻の第1巻『神秘の戸口で』を刊行。序文でエリファス・レヴィの考えを踏襲し、「高踏魔術は実証的な観察と類推による帰納法とに基づいた仮説的かつ合理的なひとつの普遍的綜合である」と宣言。同じ年、リヨンで性的密儀に耽っているというブーランの噂を聞き11月に同地に赴いて、2週間ほど彼の修道会に潜伏する。弟子のオズワルト・ヴィルトはほぼ1年にわたって潜伏し、12月に「秘密教義」を入手する。

 1887年、ブーランを裁くために秘密法廷を開き、5月24日付けで彼に対し有罪判決を通知する。
 1889年、ペラダンと共に「薔薇十字カバラ会」を創設。
 1890年、方向性の違いにより、ペラダンと袂を分かつ。但し、ペラダンへの敬意は失われることはなかった。
 1891年、『呪われた―』の第2巻『創世記の蛇』を出版。また、『サタンの寺院』を刊行し、ブーランを烈しく非難。
 1893年1月4日、ブーランが心臓麻痺で急死。1月9日付「ジル・ブラス」紙にユイスマンスの友人ジュール・ボワがブーランを呪殺したと中傷してきたため、モーリス・バレスを立会人にしてユイスマンスに名誉毀損の弁償を求める。話がこじれてボワと決闘沙汰に及ぶ。
 1897年、『呪われた―』の第3巻『黒魔術の鍵』を刊行。同年、モルヒネの過剰摂取により他界。享年36歳。
 1949年、『呪われた―』の第4巻『悪の問題』(但し未完成)が出版される。

 【参考文献】
  『ユイスマンス伝』 ロバート・バルディック(著) 岡谷公二(訳)  学習研究社 (1996/11)

  『悪魔のいる文学史―神秘家と狂詩人』  澁澤龍彦(著)  中央公論新社 (1982/01)


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