レオン・フレデリック (Leon Frederic)

856年 ブリュッセル(ベルギー)生 ― 1940年 ブリュッセル

『流れ』(右翼)

 【略歴】
 1856年、ベルギーのブリュッセルで、宝石職人を父として生まれる。7歳のとき、ゲント近郊にあったイエズス会学校の寄宿舎に入れられる。15歳で室内装飾家のシャルル・アルベールに師事するとともに、ブリュッセル美術アカデミーの夜学に通う。
 1878年、ローマ賞を逃したものの、父親の支援のもとイタリアに遊学。帰国後にサロンに出品。1882年のサロンでトリプティーク(3幅対画)『白墨売り』で受賞。87年の『農夫の一生』、95〜97年の『職人の一生』など、一般庶民を写実的に描くのを得意とした。
 1890年代から世紀末的な風潮を受けて幻想的で象徴主義的な傾向が濃くなる。
 1895年、《自由美学》展に参加。(以降、98年、1900年、1908年にも同展に参加。)
 1896年、デルヴィルの《理想主義芸術展》に参加。
 1898年、ラファエル前派の影響を受け、三連画『流れ』や『自然』などを描く。
 『流れ』はベートーヴェンの「田園交響曲」に霊感を得たもので、カミーユ・ルモニエは以下のように評している。
「寓意画に見せた特異な趣味は、のちに彼を別のテーマに向かわせ、精確な現実に夢中になったこの観察者から、とつぜん最も華麗で最も怖ろしくもっとも詩的な想像力が現れることになる。(中略)……春の牧歌的な暖かい恵みの中で、さざめく小川のほとりで子どもたちの裸の一群が遊ぶ。その肉体は薔薇で作ったようだ。しかし人殺しの足が快い命の園を踏み、エデンはもはやエデンでなくなる。地面は血を流し、兄弟愛で結ばれた全人類もまた」
 1898年、ウィーンの《分離派》展に参加。1900年、1901年にも同展に参加。
 1904年、ベルギー・アカデミー会員となる。1930年、男爵位を授けられる。
 1940年、ブリュッセルにて逝去。

 参考文献:
  1982年、東京国立近代美術館の『ベルギー象徴派展 (1982年)』図録より抜粋。 「 」内は本書より引用。





ご意見・ご感想は travis7jp@yahoo.co.jp