レオノーラ・キャリントン (Leonora Carrington)

1917年 パリ(仏) ― 

 【略歴】
 1917年4月6日、レオノーラ・キャリントン(またはカリントン)は、イギリス・ランカシャーの裕福な実業家の家に生まれた。母親はアイルランド・ウエストミースの医師の娘で、同じ家系に小説家のマリア・エッジワース(1767-1849)がいる。キャリントンは母親や同じアイルランド出身の乳母からケルトの神話や妖精物語を聞いて育つ。父親は娘が画家を志すのに反対だったが、母親は彼女に味方した。
 フィレンツェのミス・ペンローズの寄宿学校に留学し、パリのフィニシング・スクールを経た後、ロンドンに戻ってチェルシー美術学校やアカデミー・アメデ・オザンファンに通う。この頃、オルダス・ハックスレーの小説や錬金術に関する本を読み漁る。
 1936年、母親が贈ってくれたハーバート・リードの著書『シュルレアリスム』に刺激される。
 1937年、ロンドンでマックス・エルンストと知り合う。このときエルンストは46歳、キャリントンは20歳だった。エルンストは結婚していたがすぐに離婚し、キャリントンと一緒にサン・マルタン・ダルディッシュで暮らす。
 この地で最初の短編小説「恐怖の家」と「卵形の貴婦人」を執筆。絵画では『キャンドルスティック卿の食事』など、イギリス上流社会を風刺した作品を描く。レオノール・フィニと親交を結ぶ。
 1939年、ブルトン編集『黒いユーモア集』に、ロートレアモンやサドの作品(抜粋)と並んでキャリントンの「デビュタント」が収録される。 同年パリで、「卵形の貴婦人」や「女王陛下の召喚状」「恋する男」「デビュタント」などの短編小説を収録した『卵形の貴婦人』がエルンストの挿画・序文つきで出版される。
 1940年、エルンストがミルの収容所に抑留されたことで酷い神経症を患う。エルンストの亡命に必要なビザが手に入らないものかとマドリードの英国大使館に掛け合うが、錯乱のあまり「ヒトラーを殺す」とわめき、家族のはからいでスペインの病院に入院。その間にエルンストは解放され、ペギー・グゲンハイムと交際を始めていた。
 1941年、メキシコ人外交官レナト・レドックと結婚。ヨーロッパを脱出してニューヨークに渡り、ブルトンらが発行したシュルレアリスム雑誌『VVV』にドローイングや小説を寄せる。
 1942年、小説『最高の鳥マックス・エルンスト』を発表。ペギー・グゲンハイムのプロデュースによる『20世紀の31人の女性』展に出品。夫と共にメキシコシティに移り、レメディオス・ヴァロと親交を深める。
 1944年、ブルトンの勧めで戦時経験や精神科医院の入院経験を綴った『はるか下方に』(Down Below)が、シュルレアリスム雑誌『VVV』に発表される(46年に単行本化される)。
 1945年、『ダゴベールの憂さ晴らし』。戯曲『フランネルのネグリジェ』
 1946年、戯曲『ペネローペ』『卵形の貴婦人』、絵画『小鳥の家庭菜園』『宮殿の祭壇彫刻画』 
 1947年、『反対側にある家』 絵画『太陽と他の星々を動かす愛』『果樹園に双子、再び』『夜は全てのものの慰め』『シリウスへの順礼の旅』これらはケルト神話や魔術、錬金術の世界観に満ちた作品。
 1948年、ニューヨークのピエール・マティス画廊で最初の個展を開く。
 1950年代初頭、ヴァロと共にチベットのタントリズムや禅宗に興味を抱くと共にグルジェフを信奉するグループと交流する。
 1960年、メキシコ国立現代美術館で回顧展。
 1963年、メキシコ国立人類学博物館の依頼に基づき壁画『マヤ族の不思議な世界』を描く。
 1986年、短編集『鳩よ、飛べ』(仏語版)が出版される。
 現在もアメリカ及びメキシコで存命。

 【参考文献及びキャリントンの著作】

 『恐怖の館―世にも不思議な物語』 
  レオノーラ・キャリントン(著) 野中雅代(訳)  工作舎 (1997/09)
 ※短編小説の「恐怖の館」(エルンストによる序文・挿画付)や「卵型の貴婦人」、「デビュタント」、「女王陛下の召喚状」「恋する男」「サム・キャリントン叔父さん」「リトル・フランシス」、及び闘病経験を綴った「ダウン・ビロウ」が収録されています。

 『耳ラッパ―幻の聖杯物語』 レオノーラ・キャリントン(著),野中雅代(訳) 工作舎 (2003/07)

 『シュルセクシュアリティ―シュルレアリスムと女たち 1924~47
 ホイットニー・チャドウィック(著) 伊藤俊治+長谷川祐子 (訳)  PARCO出版局 (1989/03)

 『レオノーラ・キャリントン』 野中雅代(著) 彩樹社 (1997/10)


 "Leonora Carrington- Surrealism, Alchemy and Art" by Susan L. Aberth. Lund Humphries, 2004


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