ヒエロニムス・ボス (Hieronymus Bosch)

1450年頃ス・ヘルトヘンボス(蘭)生 ― 1516年

『快楽の園』

 【略歴】
 ボスの半生については資料が乏しく、生年もはっきりしていないが、1450年頃、現在のオランダのベルギー国境に近いス・ヘルトヘンボス(フランスではボア・ル・デュク)に生まれたと考えられる。当地の寺院の記録によると、本名はイエーレン・ヴァン・アーケン(Jeroen van Aken)。ヒエロニムスはJeroenのラテン語読み、ボスは町の名前に由来する。ヤン・ヴァン・アーケンなる人物が1399年に当地の市民権を取得しており、この名前がス・ヘルトヘンボスの画工に代々引き継がれたと見られている。
 彼の記録が町に残っているのは1480年からで、それによるとボスは「聖母マリア教団」なる平信徒の教団に所属しており、1489年にはこの教団の礼拝堂に祭壇画を描いている。リール市の記録には、フランスのフィリップ公(1495-1506)のために彼が最後の審判図を描いて36リーブルの報酬を得たことが記載されている。また、1512年には「聖母マリア教団」の礼拝堂に家具を設計して報酬を得たという記録が残っている。1516年に死亡した際には、その礼拝堂で葬儀が開かれた。
 彼自身の経歴には不明点が多いものの、彼の作品はシュルレアリスムにも通じる極めて幻想的で異端的な意匠にも関わらず、16世紀当時から評価が高かった。スペインのフィリップ2世はボスの絵をたいへん好み、12枚もの作品を収集していた。




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