1827年 バーゼル(スイス) ― 1955 ウッドベリー(米)
【略歴】 1827年10月16日、バーゼルにて織物商の息子として生まれる。 1845年、デュッセルドルフ・アカデミーに入学し、ヴィルヘルム・シルマーに師事する。 1847年、ブリュッセルやアントウェルペン、スイス・アルプスを旅行。翌48年にパリに出るが、「フランス的なるもの」への嫌悪から帰郷する。 1850年、友人のヤコブ・ブルクハルトに助言されローマに滞在。詩人のパウル・ハイゼと知りあう。 1853年、アンジェラ・パスクッチと結婚。 1857年、バーゼルに戻るが、翌58年にはミュンヒェンに移る。 1858年、『葦のなかの牧羊神』(B)が高く評価され、バイエルン王家に購入される。 1860年、ワイマール美術学校の教授に就任(〜62年)。レンバッハやベガスと交流。 1866年頃? バーゼルに戻り、アウグスティナ・ガッセの博物館にフレスコ画を描く。ブルクハルトと決別。 1871年〜74年、ミュンヒェンに滞在。この頃より、幻想的な作風で生と死のアレゴリックなテーマを描くようになる。 1872年、『ヴァイオリンを弾く死神のいる自画像』『ケンタウロスの戦い』(B)などを描く。 1874年〜83年、フィレンツェに滞在。 1880年、『死の島』1st.ver(B)及び2nd.ver(メトロポリタン美術館蔵)を描く。 ベルリンの画商フリッツ・グルリットが彼を絵画を気に入り、定期的にベルリンで紹介する。『死者の島』が複製として多くの市民の居間を飾るようになる。 1882年頃、飛行機の実験に夢中になる。『聖なる森』(B)を描く。 1883年、 『死の島』3rd.ver(プロイセン国立ギャラリー蔵) 1884年、 『死の島』4th.ver(1945年以来、所在不明) 1885年、チューリッヒに移る。 翌86年、 『死の島』5th.ver(ライプツィヒ美術館蔵) 1889年、グルリットと決別する。 1893年、フィレンツェに移る。 1895年、フィエーゾレ近郊のサン・ドメニコに移り住む。『戦争』『ペスト』を描く。 1901年1月16日、他界。フィレンツェ市門の前のカンポサント・アリ・アローリに埋葬される。 (B)はバーゼル美術館所蔵作品 【参考文献】 『ベックリーン「死の島」―自己の英雄視と西洋文化の最後の調べ』 フランツ ツェルガー(著) 高阪一治(訳) 三元社 (1998/05)
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