ウィリアム・ブレイク(William Blake)

1757年 ロンドン(英)生 ―1828年 ロンドン(英)没 

『レッドドラゴン』(*1)

 【略歴】
 1757年11月28日、ロンドンのブロード街28番に靴下職人の三男として生まれる。セント・ジェイムズ寺院で洗礼を受ける。
 1772年8月、銅版画師ジェイムズ・バザイア(James Basire)の工房に入って銅版画を習う。当時から読書が好きで詩をつくっていた。
  銅版画師として仕事に励みながら、毎年のようにロイヤルアカデミーに作品を出品。また、画家のトマス・ストザードやヘンリー・フュースリらと交遊する。
 1782年、キャサリン・バウチャーと結婚。1784年、父親が他界。
 1787年、仕事を手伝っていた弟のロバートが19歳の若さで病死したことから、霊的世界を強く確信する。弟の霊に導かれて彩飾版画という独特のレリーフ・エッチングを着想する。
 1788年、彩飾版画によって『自然宗教は存在しない』と『すべての宗教は一つである』を制作。
 1789年、ロンドンでスウェーデンボルグの信奉者が集まる「新エルサレム教会」が発足し、ブレイクは妻と共にその総会に出席。彼は以前からパラケルススやヤコブ・ベーメの神秘思想に耽り、新プラトン主義やグノーシス思想、カバラなどのオカルティズムに精通していた。同年、詩作『無心の歌』を創作。
 1791年、テムズ川南岸のランベスに引越す。
 この頃より詩作『天国と地獄との結婚』『アメリカ』『ヨーロッパ』『ユリズンの書』『ロスの書』などに着手。
 1793年、 『天国と地獄との結婚』完成。
 1794年、詩作『経験の歌』が完成。
 1800年、ウィリアム・ヘイリー(William Hayley)と交遊し、彼の家に近い南イングランドのフェルパムに移り住む。
 1803年、
ヘイリーと意見の相違で仲たがいし、さらに兵隊との諍いで告訴される。
 1804年1月、裁判を受け無罪を勝ち取り、ロンドンに帰る。
 1808年、詩作『ミルトン』が完成。
 1818年、『エルサレム』が完成。
 1825年、銅版画の集大成である『ヨブ記』を制作。この頃より体調を崩す。
 1828年、8月12日、ファウンテンコート3番地の貧しいアパートにて逝去。




 【参考文献】

 『ブレイク詩集―無心の歌、経験の歌、天国と地獄との結婚』巻末の吉村正和氏による解説。

 『ウィリアム・ブレイクの芸術』 アンソニー・ブラント(著)  岡崎康一(訳)

 『ウィリアム・ブレイク―芸術と思想 (1978年)』 並河 亮(著)


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