シャルル・ピエール・ボードレール(Charles Pierre Baudelaire)

1821年 パリ(仏) ― 1867年 パリ(仏)

 【略歴】
 1821年4月9日、パリにて裕福な農家の家庭に生まれる。父親は当時62歳、母親は28歳だった。
 1827年、7歳のときに父親が他界。 翌28年、母親の再婚によりリヨンに移り住む。
 1836年、義父の転勤により、パリに移り、ルイ・ルグラン中学に編入。
 1839年、ルイ・ルグラン中学より放校処分に処せられる。大学入学資格試験に合格。ネルヴァルやフイエらと交遊する。
 1841年、両親からインド行き遠洋航路に乗船を強いられる。
 1842年、航海途中のアフリカ東岸モーリス島からパリに引き返し、実父から引き継いだ巨額の遺産で豪遊生活を始める。「黒いヴィナス」と呼ばれた混血女優ジャンヌ・デルヴァルと同棲。
 1844年、多額の浪費により準禁治産者の認定を受ける。
 1845年、絵画批評の小冊子『1845年のサロン』を刊行。翌年も同じ趣旨の小冊子を刊行。この頃よりエドガー・アラン・ポーに傾倒する。
 1847年、ブルードンらと政治活動を開始。翌48年には2月革命に加担し、政府を批評する『ル・サリュ・ピブリック』紙を発刊。そのかたわら、ポーの翻訳や後の『悪の華』に収録される諸詩をつくる。
 1852年、サバティエ夫人のサロンに出入りする。同年、ナポレオン3世即位。
 1857年、詩集『悪の華』を出版。風紀問題により一部を削除されるとともに罰金刑に処せられる。義父が他界。
 1858年、『人工楽園』の「アシーシュの詩」をRevue Contemporaineに掲載。
 1860年、『人工楽園』の「阿片吸引者」をRevue Contemporaineに掲載。同年、これらを合わせて単行本を刊行。
 1861年、ジャンヌ・デルヴァルと別れる。詩35篇を加えた『悪の華』増補版を刊行。
 1863年、梅毒による体調の悪化が始まる。
 1864年、負債に追われ、ベルギー・ブリュッセルに移り住む。
 1866年、3月に友人のフェリシアン・ロップス、出版人プーレ・マラシスと共にナミュール市を旅行中、卒倒し、失語症となる。ブリュッセルの病院に入院するが、7月、実母に伴われて付き添われてパリの病院に転院する。
 1867年8月31日、死亡。遺体はパリのモンパルナス墓地に埋葬される。

 【参考文献】
 『悪の華』新潮文庫のボードレール年賦 堀口大学(著) 改版版 (1953/10)

 『ボードレール伝』 アンリ・トロワイヤ (著) 沓掛良彦+中島淑恵 (訳) 水声社 (2002/12)

 【ボードレールの作品】
 『悪の華』安藤 元雄 (翻訳)  集英社 (1991/04)  
  ※数ある『悪の華』翻訳のなかで最も分かりやすいと評判です。

 『ボードレール パリの憂鬱』渡辺 邦彦 (翻訳)  みすず書房 (2006/08)

 『人工楽園』 渡辺 一夫 (訳)  角川書店 (1955/05)

 【評論その他】
 『ボードレールと私』 西脇 順三郎 (著)  文芸文庫 (2005/8/11)
 
 『シャルル・ボードレール―現代性(モデルニテ)の成立』 阿部 良雄 (著)  河出書房新社 (1995/07)

 『ボードレール 他五篇』 ヴァルター ベンヤミン (著), 野村 修 (著)  岩波書店 (1994/03)



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